(事の始まり)
1630年 岡山城主池田忠雄公に嫡男(光仲)誕生。城下ではお祝いのお祭り騒ぎ。
その城下で忠雄公の小姓、渡辺源太夫(数馬の弟)が河合又五郎に切り殺される事件が発生。
河合又五郎は旗本安藤家に逃げ込む。
池田家は、安藤家に犯人の引き渡しを交渉するが難航。幕府に仲裁を申し出る。
いつまでも煮え切らない幕府に、忠雄公立腹。登城せず。
外様VS旗本・幕府(コワイ外様軍団、幕府も手を焼く、163万5千石)
伊達62万石(忠雄の妹が伊達2代目の正室)・蜂須賀28万石(忠雄の正室の実家)
鳥取池田32万石(忠雄の甥・光政)・岡山池田31・5万石・岡山池田の分家10万石(忠雄の弟達)
1632年 忠雄公死去(幕府・・・ラッキー♡)
(遺言) 忠雄公死去 家臣に遺した遺言は? 岡山を召し上げられようとも、この件は解決すべし
外様の意地をかけ、旗本・幕府にケンカを売った 池田家の運命は?
時を同じくして伊達の行列の前を旗本が横切った。これに怒った伊達は公衆の面前でその旗本を
ボコボコにした上、首をハネる 事件が起きた。これには幕府もビックリ。
あっと言う間に裁断を下した。
(お国替え) 幕府の仲裁の結果 安藤家に対して100日の寺詰め
池田家に対しては減石せずに、岡山⇒因伯へお国替え。
(藩主光仲が幼少のため、重要な岡山は光政に任せよう)
「これで水に流してほしい・・・by幕府」
池田の家臣は旗本寄りの仲裁に不満だが、幼君の為お家大事と涙を飲んで幕府に従った。
(仇討ち)当の河合又五郎は安藤家等の働きにより、水戸藩へ仕官が決まった。
又五郎は大和郡山から伊勢より海路水戸へ・・・
そうなると又右衛門・数馬は手が出せなくなる。
伊賀上野は又右衛門の故郷。地理に詳しいココなら待ち伏せできる。(チヤ~ンス♡)
仇を討つなら今しかない!
一方、旗本のメンツにかけて討たせる訳にいかない安藤家。(仕官の世話までしたのに立場がない)
護衛を付けて送り出す。・・・あとは皆様ご存知の決闘となる訳です。
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